意識高い系の聴覚障がい者

健常者と一緒に生活し、2017年に大学を卒業した聴覚障がい者の私が日常生活を綴っていきます。

無駄なことをする意味を知らない世代とは

大学に入るまでは、「無駄なことをする意味を知らない世代」だった。

ここでいう無駄なことは何か。

日本の若者は、大学生になるまで、無駄なことは徹底的に省いてきたのではないだろうか。

学校内テスト、内申点を上げることに注目し、受験競争を体験してきたのだ。

そのため、放課後、昼休みといった空き時間は「暗記するための時間」として費やしただろう。

 

日本と外国(アクティブラーニングを10年前から実行している国)の違いは何か。

「夢、理想像」を自ら肯定できたか。

「リーダーシップ論」を学んだか。

「創造性」を伸ばすカリキュラムを受けたか。

この3つが、大きな違いだと考えている。

 

この違いは、成長するにつれ大きな差を生むことになるのだ。

 

なぜ、学びをするのか。

どうやって、学ぶのか。

何をすれば、自分のモチベーションが上がるかを知っている。

自分のしたいことを実現するには一人ではなくチームですることが大切であることを知っている。

 

という4つを人生を歩むためのベースとして構築できるのが、外国の若者だ。

 

現に、イーロンマスク、ザッカーバーグは、大学に行かなくても自力で学び、自分のしたいことを組織で実現しているのだ。

 

彼らは、いきなりベースを構築したかというとそうではない。

無駄なことをしてきたのだ。

とことん自分の興味があるものに手をつけ、学校の成績は悪くてもそのまま自分の興味があるものに手をつけてきた。

世間から見ると、無駄なオタクはやめて、その頭を生かして学業の成績を上げなさい。という助言を彼らに与えるのだ。

数年後、その彼らから仕事を与えられ、金を与えられ、サービスを受けているというおかしな構造になっている。

 

それは、彼らが生産者として成功したからだ。

社会的な成功ではなく、生産者として成功したのだ。

 

この世の中は、経営者と従業員ではなく、生産者と消費者なのだ。

金を生むが、生産者でなければ、消費者でしかない。

だから、お金は幻想であるという意味にもなるのだ。

 

お金、社会的地位などというものではなく、内なる好奇心を高めるという無駄なことをしないといけないのだ。

Sonyや京セラの創業者である方は、幼少期の頃から自分の興味好奇心をくすぐっていたからこそここまで伸びてきたのだ。

 

私達若者は、「社会的な常識から見て、無駄である」ことをしなければいけないのだ。